学者や科学者にとっては、真実が宗教である
理系うんちくブログを始めた筆者ですが、私自身は素材メーカーに勤務する文系人間であり、長らく営業・マーケティングに携わってきました。
今回は、理系出身の同僚や商談先の方とミーティングを行う際にしばしば抱いてきたのですが上手く言語化できていなかった感情について、デイヴィッド・スローン・ウィルソン著『社会はどう進化するのか』にヒントが記されていましたので、以下ご紹介したいと思います。
学者や科学者として情報を伝達するためには、自分が言いたいことの全てを文書化しなければならず、自分の業績が刊行される前にピアレビューを受けなければいけない。
参照文献を明記しなかったなどの小さな違反でさえ、自分の評判を傷つけかねない。
データの捏造などの言語道断の欺瞞を行えば、学会追放の憂き目に合うだろう。
その意味において、学者や科学者は、真実を自分たちの宗教とみなしている。
マーケターにとっての真実は、自社の製品やサービスを「どう見せたいか」
上記に対して、営業・マーケティングを司どる者にとっての真実は、自社の製品やサービスを「どう見せたいか」だと私は考えます。
通常、マーケターは市場全体を漠然と眺めるのではなく、意味のある小さな集団に区分してその属性を分析します。これをセグメンテーションと呼びます。
次に、数あるセグメントの中から自社の製品・サービスと親和性の高そうなセグメントを選択し、攻略すべき市場として狙いを定めます。これをターゲッティングと呼びます。
さらに、狙いを定めたセグメント=顧客候補から「自社の製品・サービスをどのように認識してもらいたいか」を検討する作業がマーケティング用語で”ポジショニング”と呼ばれる概念です。
マーケターはこれら過程(セグメンテーション〜ターゲッティング〜ポジショニング)を上手くいくまで行ったり来たりしながら、自社の製品・サービスのチャンスをうかがっています。
ですので、どうしても、自社の製品・サービスを想定顧客に受け入れてもらうという、企業としての目的意識を持って物事を眺め・考えてしまう癖がついてしまっています。
また想定顧客との商談が始まると、ある意味最初から最後までその目的に沿った単語、ロジック、表情やジェスチャーなどを交えてコミュニケーションします。
理系人同士が醸成する連帯感
ですが、理系の研究者同士や学者の方が同席する商談になると、話が思わぬ方向に展開することがあり驚くことがあります。
研究者や学者の方が、自身の研究内容の画期的なポイントのみならずどこに限界があるかを率直に語ったり、自社の製品・サービスの不備や改善の余地を素直に語ることがあります。
「自身の研究や自社の製品・サービスを少しでもよく見せよう」というマーケターの意思とは離れた、真実を宗教とみなす理系同士のコミュニケーションがしばしば展開され、マーケター視点からすると「あー今それを言っちゃうと売れなくなっちゃうよ」とヒヤヒヤしたりします。
でも不思議なもので、研究者同士が真実を宗教とみなすやりとりの中で、互いに信頼を構築することでじっくり時間をかけて開発した商品・サービスは中長期的な商売に結びつく傾向が高いです。
真実を伝えあうという作法を身につけた理系人同士が醸成する連帯感・信頼感には、まさに宗教に近い関係構築効果があるように思います。
以上、今回は、理系出身の同僚や商談先の方とミーティングを行う際にしばしば抱いてきたのですが上手く言語化できていなかった感情について、デイヴィッド・スローン・ウィルソン著『社会はどう進化するのか』に簡潔に記されていましたので、ご紹介させていただきました。